ざっくり言えば
- 琉球語は、日本語の「方言」ではない
- でも同じ日本語族に属する「姉妹言語」ではある
- 3~7世紀頃、中古日本語から枝分かれした琉球祖語
- その琉球祖語の話者たちは、殆どが10~12世紀頃に九州から琉球諸島へ移住した
- 日琉同祖論は、概ね正しい
琉球語は、日本語の「親戚言語」
沖縄語をはじめとする琉球諸語は、よく「日本語の方言(?)」とされることが多いです。
その反対に、「そもそも琉球語は日本語と全く関係ない言語(?)」だという声もあります。(特にサヨクの政治団体から!)
…何れも不正解です。
琉球語は、上代日本語から枝分かれした、いわば「日本語の親戚言語」です。
琉球語と日本語は、同じ「日本語族」という言語グループに一緒に属します。
「日本語族」:日本語と琉球語が一緒に属している。 琉球語は、上代日本語から枝分かれした、「日本語の姉妹言語」である。 |
71%の一致率!日本語と琉球語を比較した結果
もちろん日本語と琉球語は、口頭ではほぼ通じません。ですから「方言」扱いするのはちょっと難しいですね。
(「琉球語』という一つの言語があるのですなく、島ごとに別々の独立した言語があって、それをまとめて「琉球諸語」と呼ぶべき…という意見もあります)
ゆえに日本語と琉球諸語は、殆どの基礎語彙が共通しています。
漢語などの借用語を除いた、純粋な固有語だけで比較した結果がこれですよ。
(ちなみに英語とドイツ語との語彙共通率は、およそ60%です)
あの高いシンクロ率を見ると、いかに日本語と琉球諸語が極めて近い関係にあるのかが分かります。
参考として、こちらに日本語と沖縄語の「基礎語彙表(スワデシュ・リスト)」があります。ぜひ両言語の語彙表を比較してみて下さい。(下記のリンク先参照)
日本語:https://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Japanese_Swadesh_list
沖縄語:https://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Okinawan_Swadesh_list
琉球祖語:3~7世紀頃に古代日本語から分化
沖縄語をはじめとする琉球の諸言語は、古代の「琉球諸語」から派生しました。
その「琉球祖語」が日本語から別れたのは、およそ3~7世紀(ちょうど古墳時代)と考えられています。
なぜなら琉球祖語には
- 「動詞の終止形」と「連体形」を区別している
- (※標準日本語ではどちらも「~た」で統一)
- ハ行の子音がP音になっている
など、奈良時代より以前の日本語の特徴が残っていますから。
言語学者の服部四郎は、京都方言と首里方言は1450~1700年前に分岐したと計算しました。
10~12世紀:琉球語をしゃべる人々は、九州から琉球諸島へと移った
7世紀までは日本語から分岐した琉球祖語ですが、この古代琉球語の話者たちはしばらく九州にとどまっていました。
彼らが本格的に琉球諸島へ移ったのはおよそ10~12世紀頃、平安後期から鎌倉時代までの時期です。
もちろんそれ以前にも琉球諸島は、日本の影響下にありました。
中国生まれの僧侶である鑑真は、日本にやってくる途中で「阿児奈波(おきなわ)」島に着いたとされています。
内地に近い奄美群島は、特に朝廷との結びつきが強くて、一定の実効支配が行われていました。
『延喜式』には、奄美大島の名前のほかに停泊所、給水所、航路の道標が設置されたことが記されています。
998年(長徳4年)、太宰府はこの出先機関に「反乱を起こした南蛮人(奄美大島)を追補せよ」という命令を出しました。
琉球諸島に対する日本の影響は昔からあって、その間に九州にいた琉球祖語の担い手たちも少しずつ南の島々へ移っていたでしょう。
しかし内地から琉球へ、本格的に多くの人々が移住したのは10~12世紀頃です。
日本本土との断絶、そしてアジア大陸からの影響… そうして独自発展した琉球諸語
琉球諸島へ移った人々は、しかしそのあと日本本土との連絡が断たれました。
内地では数多くの歴史的大事件が立て続けに発生していましたから。
琉球諸島に取り残された人々は、その一方でアジア大陸から多くの影響を受けました。
琉球は立地的に日本本土とアジア大陸をつなげる中継点です。
必然と中国・東南アジアと交流が多くなって、これらの国々から文化的な影響を受けるようになりますね。
もともと日本人だった人々が、琉球諸島に移住したあと、内地との往来が断たれる一方でアジア大陸からの影響を受けた…
そうして琉球諸島の文化と言葉は、独自的に進化するようになりました。
日琉同祖論は、概ね正しい!
日本と琉球は祖を同じくするという主張がありますが、ほぼ正しいです。
もちろん100%まではいきませんね。実際に琉球諸島には、中国・東南アジアからやってきた「非日本系」の渡来人グループも多くありました。
(代表的には、1392年に中国東南部の福建地方から、沖縄の久米村に集団移住した「久米三十六姓」グループがあります)
しかしそんな「非日本系の集団」まですべて含めてみても、琉球人のほとんどは明らかに「日本系」です。
琉球諸島の人々は、大多数が「10~12世紀に九州からやって来た人々」の子孫です。
そして日琉同祖論は概ね正しいのです。