2021年1月10日日曜日

【漢字の歴史】日本最初の漢字は、西暦57年の「漢委奴国王印」

 ざっくり言えば
  • 長く文字がなかった紀元前の日本
  • そして貰った「漢委奴国王印」…これこそ日本最初の漢字
  • 「委奴国」については
    • 「伊都国」(今の福岡市西部と糸島市の間)説と
    • 「倭(わ)の奴(な)の国」(今の博多あたり)説あり


千年以上も文字がなかった紀元前の日本


「漢委奴国王印」の実物
日本に伝われた最初の漢字である
画像の引用元:Wikipedia
中国では既に紀元前14世紀の頃に甲骨文字が使われていました。

このときの日本は縄文時代晩期にあたり、文字はありませんでした。

そして縄文時代晩期から弥生時代まで通して、文字が無い時代は1000年以上もずっと続いていました。


中国から貰った「漢委奴国王印」、これこそ日本史上初の漢字


そしてときは西暦1世紀頃、ちょうど弥生時代の中期~後期にあたります。
同じ頃ま中国では、後漢の時代でした。

このとき日本列島に数多く乱立していた諸国のうち、「倭奴国」と呼ばれる国がありました。

この「倭奴国」は西暦57年頃に外交使節を送りました。
そして中国の皇帝から、倭奴国の王を冊封する印として、ある金印を貰います。

その金印こそが「漢委奴国王印」かんのわのなのこくおういん)です。
これが日本に初めて伝えられた漢字でした。

(のちに聖徳太子が「日出処の天子…」の国書を通じて「日本は中国の属国であらず、対等な関係の国である」のをはっきり示して下さいましたが、それはまた別の話です


「委奴国」?「伊都国」か「わのなのくに」か


漢委奴国王印の、「委奴国」の解釈については意見が分かれています。

まず、「委奴国」は「伊都国(いとこく)」であるという説があります。
委奴を「いと」と読み、これを「伊都国」(今の福岡市西部から糸島市の間)に比定しています。

また、「奴国(なこく)」とする説もあります。
「委奴国」を「倭(わ)の奴(な)の国」と読んで、今の福岡東部の博多近くにあった「奴国」と解釈する説です。

何れにせよ、今の福岡のどこかに伝わった「漢委奴国王印」が日本における漢字のはじまりです。